3歳から絵を描き始め、学生時代にゲームと音楽に没頭していた僕は、なんだかんだでデザイン学科の高校に進んだのに、進学そっちのけで漫画家を目指して上京した。クラスメイトが多摩美や造形に進んで、デザイナーになったのかはわからない。ただ、机に落書きばかりしていた僕がデザイナーとして独立したなんて言っても信じてもらえない気がするので、経緯を簡単に書いておこうと思う。
リクルート広告営業
とりあえず、上京して数年でお金とネタが尽きた。ダブルでバイトしながら原稿作るのもしんどかったけど、個展とかで描きたい漫画出した時点でやりきった感があり、スキルを活かして稼ぐことを本気で考え始めた。
圧倒的に稼げたのはリクルートの広告営業で、7年半も続けた。できるだけ人と会わずに信頼と売り上げをあげようとしたので、逆にコミュニケーション能力と仕事の早さが急上昇。営業なのに原稿や絵をその場で作れることを強みとして発揮。ただ、商材自体を作っているのは自分ではないので、もっと物作りの実感を得たくなる。
雑貨メーカー
お世話になった社長の紹介で雑貨メーカーの本社に入った。営業から広告制作・webショップ制作まで幅広く任されて物作りの実感はあった。ただ、今ほどオンデマンドも普及してなかったので在庫を抱える事業に未来が描けず悩むことに。
デザイナー
在庫を持たずに自分らしい物作りをするには「デザイナー」になるしかないなと思った。営業やディレクションを兼任するような働き方ではなく、朝から晩までデザインを研究したい。加えて、会社勤めが嫌いだったので独立するのが理想的(※付き合い始めた妻がすでにその状態だった)。
とはいえ、当時はデザイン力が学生レベル+我流。どうしても大手のwebデザインに追いつけないことが気がかりだった(特に意識していたのはフェリシモとZOZOTOWN)。このまま独立しても行き詰まる。ここは、真にデザイン力のある人たちと働いて習得するしかないと思った。
大手プロバイダーのデザイン部署を紹介してもらい、初めて「デザイナー」と名乗れる仕事がスタート。本気でデザイン力を上げたかったので、できるだけ営業時代に身につけた対人スキルに頼らないようにしようと心がけていた。雰囲気作りや話術でなんとかしてしまうと、デザインは上手くならない。
それから
結局、デザイナーの仕事は「デザイン力 × 理論 × 対人スキル」の合わせ技みたいなところがあるので、集中して伸ばしたデザイン力とこれまでの経験のおかげで飛躍できた。その後、色々な印刷物・動画・web・アプリをデザインしたり、コーディングしたりライブラリ作っているうちに独立しているのだけれど、長くなってきたのでその話はまた別の機会にしようと思う。